香り椿

長くご愛顧いただいております、資生堂の香りにも歴史がありまして、ここでは旅とも絡めながらそのあゆみをお伝えします。

 「ばら園」や「ZEN」などで知られているフレグランスですが、そのはじまりは「花椿」からです。もともと香りのない椿ですが、日本的な花をイメージしてその香りは作られました。
1917年に、はじめて国内で作られた日本人による香水としても紹介することができます。
「香りを芸術まで高めたい」という強い想いから初代社長の福原信三氏によって作られましたが、"ないものに香りをつける"という独創的で新しい発想は創業者である福原有信氏の精神であるようにも感じます。

椿といえば、商標マークから資生堂を思い浮かべる方もいらっしゃるかと思います。銀座資生堂と出雲には椿が結ぶ縁があります。
まずは、創業当時の銀座のお話です。
1872年資生堂薬局は、洋風調剤薬局として開かれました。
その頃の銀座7丁目、8丁目のあたりは出雲町という地名でした。江戸時代にこの辺りの区画の埋め立てを松江藩が担当したことが由来で「出雲通り」と呼ばれていたそうです。
昭和の初め世界恐慌と戦争の足音による不況の折に地縁のある出雲大社に商売繁盛の願いを込めてお客様にお札をお配りすると業績が上向いたことから、さらに縁が深まったようです。
その後、昭和10年頃から資生堂が出雲椿(やぶつばき)を街路樹に植えたことから、出雲通りは「花椿通り」と呼ばれるようになり、平成の道路改修に伴って正式に花椿通りとなります。
この時、出雲市から出雲椿が贈られ、花椿通りに植えられました。

「神在月」に出雲へ訪れたことがありますが
八重垣神社には、資生堂花椿会について記した看板がありました。
日本古来の椿の花にインスピレーションを受けて開発した会社と日本古来のお社である出雲との縁が結ばれていることに神秘を感じます。
資生堂の「資生」は「すべてが生まれるところ」という意味で、中国の古典である易経から由来しています。
西洋と東洋の融和が、この言葉には込められているようです。

漢方医の家に生まれて西洋医学を学んだ創始者は、世間に粗悪なものが多いことを憂いて広く良いものを取り入れ、新しいものを創り出すこと、そして高い品質のものを供給することを望みました。

新しいモノを生みだす資生堂の香水史は、これからも続きます。



※資料参考:日本経済新聞社マガジン(1998年12月号)、東京新聞(2010年9月17日)
過去に聞いた話や起業文化誌「花椿」などをもとに個人的な見解で書いたものです。
※商標ロゴマークは、当時人気だった「香油つばき」から発想を得ているようです。

Hana-akari

こんにちは、Hana-akariです。どんなときを過ごしてますか? こちらでは、香りや旅をテーマに発信していきます。 「花明かり」とは、満開に咲いた花のまわりが明るく感じられることです。 この言葉は、わたしが好きな日本語のひとつで、国語辞書の大辞林には“桜の花が満開で、そのあたりの闇がほのかに明るく感ぜられること”とあります。 そんな“気配”すら感じさせる花には人を惹きつけるものが宿っています。

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